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■氏 名
■生年月日
■星 座
■血 液 型
■性 格
■行動指針
■趣 味
■信 条
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稲垣力三(INAGAKI RIKIZO)
1963年2月9日
みずがめ座
A型
温厚、自由奔放、せっかち、不器用
走りながら考える
散歩・読書・伊豆方面温泉
believe in yourself
〜自分を信じて諦めない〜 |
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【ごあいさつ】
1989年12月、歴史的に振り返ると当時はバブル経済絶頂期でした。日経平均株価も史上最高を記録した頃でした。そして16年を経過した今年の株式市場を見ていると、なんとなくあの頃の匂いがします。実態経済よりも加熱した株式市場。マネーが世界規模で余っている象徴のような気がします。
16年前を振り返ると正直、鮮明には憶えていません。ただ、なんの考えもなく勢いだけで会社を設立した26歳の傍若無人で学歴無し、金無し、経験無しの無い無いづくしでの創業でした。今でこそ、経営理念の重要性や経営ビジョンの必要性を考えますが、当時はバルブ崩壊後の未曾有の大不況下。来る日も来る日も逆風との戦いであり、目先の仕事を消化することで精一杯でした。
そして失われた10年と言われた1990年代は日本経済が過去に経験をした事がない、まさに前例がない時代でした。1997年の山一證券・拓銀の崩壊を皮切りに金融不和が発生し、その後はゼネコンショックが巻き起こり、全く先の見えない暗闇にいる感じでした。しかしながら、この事態が後に経営方針を大きく転換することになったのは事実です。
21世紀になっても経済は回復するどころか、政治・世界情勢含めて常に不安定でした。会社としては10年を越え、人間で言えば中学を卒業し、義務教育から開放され、ある程度世間からも認められる時期でもありました。本来であれば、本業である建築事業での拡大路線へのビジョンを示す時でしたが、建設業としての将来が見えず自信も持てませんでした。
そこで、創業時よりある程度の信念として考えていた商売の基本である衣・食・住を見つめ直し、これからは、『食』にスポットライトをあてて新たなるテーマを求める決意を致しました。そして2002年に飲食事業として初めて、『銀のさら』という宅配寿司事業を皮切りに、翌年には焼き鳥居酒屋『とり鉄』、2004年には蕎麦居酒屋『高田屋』をオープンしました。これらの事業はすべて、FC(フランチャイズ)事業であり、飲食事業が初めての弊社としては、十分なトレーニング事業でありました。そして、2007年6月に待望の弊社飲食事業部オリジナル飲食店第一号『富士山溶岩焼き ひなたかなた』をオープンいたしました。今後も飲食事業部に関しては、FC展開を継続しつつ、新規でのオリジナル出店に力を入れていきます。
そしてこれらの事業を通じて、将来の(株)トーナンコーポレーションのあるべき姿が見えてきたのも事実です。お客様と近い位置での商売を通じて、もっともっと人に感謝される喜びを大きくしたいという欲望が芽生えました。でも、それにはそれを共感できる弊社で最も重要な財産である『人』を大切にする風土を構築出来なければ、文字通り絵に描いた餅になりかねません。
この飲食事業を通じて新たなる意識として再度、人にフォーカスしたために、創業からの事業である建築事業にも違う意味での視点を持った事業展開をしていく意欲も生まれました。
それが、経営理念にもなった『超和のトリックスター』です。属性に関らず関るすべての人が幸せになることが自分自身、この会社を創業した、ある意味ミッションだったとも思いました。でも、それらはこの会社を経営する中で学んだことが殆どです。それは、今日まで経営を出来たのも多くの人に支えられたことを実感できるからです。
所詮、人が一人で出来る絶対値は決まっています。例え一人で出来たとしても喜びは一人分しかない。
そしてこれらの思いの中、ようやく戦える布陣が揃い、今から設立20年に向けた3年間を第二の創業と位置づけて、真の意味で理念を実践する体制を構築することを宣言致します。
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【生い立ち】
1963年東京の南青山で生まれました。小学校三年生までは今でこそお洒落な街として言われている、白金台に住むバリバリの都会っ子でした。遊ぶ場所は八方園内池や青学キャンパス潜入と、今では考えられない場所です。小学校三年の夏休み前に、現在の住まいである立川市に引越して来ました。衝撃的だったのは、デパートで売っているのが当たり前と思っていたカブトムシやクワガタが教室まで飛んでくることでした。
転校してすぐに、同じ団地の仲間と少年野球チームを結成しました。そして、初代キャプテンになりました(実は最上級生は二人です)。このチームはまだ当時命名した名前のまま残っています。
中学でも野球を続けようと入部しましたが、当時は野球と言えば坊主でしたので、小学校では長髪キャプテンで通していましたので、軟弱な自分はまもなく退部しました。高校入学時、家庭の事情で高校入学した自分だけが団地に残って一人暮らしとなりました。
その後、高校を二年で中退し将来への希望が見えなかったのもこの頃です。そして専門学校へ行き、その年の夏休み伊豆の海にアルバイトへ行きました。そこで現在の愛妻と出会い、怠け者でどうにもならい自分が真面目に働くきっかけになりました。おそらく、妻と出会っていなければ現在の自分は無かったかもしれません。
その後は、運送会社に就職しましたが、荷主先は木村屋のパンの配送でした。これはただ単に荷物を運ぶだけではなく、ルートセールスドライバーとしてお客様から喜ばれる仕事であり、そのことに楽しさを感じました。それまで、何も自信がなく将来への希望などなかった自分にとって、人から認められたり必要とされたことが、大きなやりがいとなりました。
そして、その頃から当時の仲間と30歳位までには独立したいと話すことが多くなり、そのチャンスが26歳の時に来ましたので迷わずに独立を決意しました。『その時感じた閉塞感を自身の力で打破したい』そして、「自分自身の考えを証明するには、経営で成功して世間に認めてもらう以外にはない」と思っていました。
その後は、父親の「商売やるなら衣・食・住」の教えを守り、住での独立を果たし、現在に至っています。
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